H20.10.12 日光、男体山(娘7才)!


2008年10月12日


日光、男体山(娘7歳)!

メンバー  たけお、弟、娘(7歳)、姪っ子(7歳)

07:10 登山開始(志津乗越) 標高1,785m
07:20 1合目
07:40 2合目
08:00 3合目
08:30 4合目
09:00 5合目
09:20 6合目
10:20 7合目
10:30 8合目
11:10 9合目
11:20 山頂(標高2,484m)
12:40 下山開始
16:20 下山

10月の三連休は以前より娘と日光の男体山登山を計画していたのであるが、弟が自分達も一緒に連れて行ってくれと計画に乗っかてきた。こうして、夏休みの赤城山に続いて2回目の合同山行が実現したのである。
もちろん、嫁さん達は標高2,484mとの話を聞いた途端に不参加を表明したのは言うまでもないのである。

ちなみに、なぜ男体山にしたかとういと、私の住む埼玉県北東部は関東平野ど真中でまっ平であるが、空気の澄んだ冬になると、そこそこ山が見えるのである。

なかでもシロートの我々でもひと目でわかる山が、東の筑波山、西の富士山、そして北の男体山なのである。

筑波山は既に登っているので、今回は男体山である。娘と「あの山に登ったんだよ!」と、みんなに簡単に説明(自慢)できるのである。



2008年10月12日


しかし、小学校1年生の娘たちには標高差1,200mの中禅寺湖側からの表登山道はさすがに厳しいので、戦場ヶ原経由で男体山の裏側にまわり、志津乗越登山道(標高差700m)から登ることにしたのである。

山と高原の地図記載の大人の標準的コースタイムは登り2時間40分、下り1時間40分、合計4時間20分であるが、7歳の娘たちでは倍の時間がかかると思ってまず間違いないのである。
子供の体力を考え、午前7時には登山開始の予定を組むことにした。

10月の三連休、しかも奥日光はちょうど紅葉のベストシーズンである。相当の渋滞が予想されているので、朝4時には自宅を出発したのであるが、恐ろしいことに、朝5時半に中禅寺湖湖畔で渋滞につかまってしまった。

早朝の渋滞にさすがは日光と唖然としながらも、ハイカーの車でごったがえしている竜頭滝を抜けると渋滞はうそのようになくなり、三本松経由で無事に志津林道にはいったのである。



2008年10月12日


林道入口は未舗装で底の見えない大きな水溜りがいくつもあり、一般車で走行できるか不安になったが、奥は道幅こそ狭いものの舗装がいきとどき、午前7時には予定通り志津乗越登山口に到着した。

登山口は10台程度の駐車スペースがあるのであるが、既にほぼ満車状態であった。やっぱり100名山である。しかしながら、運の良いことになんとか最後の1台分の駐車スペースにすべりこむことができたのである。大きな水溜の場所がちょうど1台分の駐車スペースが空いていたのである。

この場所に駐車すると車が泥だらけになってしまうのであるが、既に林道走行で車はドロドロであったので、子供達の乗降りさえ気をつければ全然へっちゃらなのである。我々の後の車は駐車スペースをなかなか見つけられず、しばらくウロウロしていたが、しばらくして林道の奥へと消えていった。林道はまだまだ先に続いており路肩にいくらかは駐車スペースがあるようである。

さて、車を降りてビックリである。水溜りに凍りが張っているのである。朝方はかなり気温が低いものとは予想していたが、ここまでとは! 娘たちは寒い寒いと言いながらも、氷を触ったりして大喜びである。

とりあえず、娘にはフリースの上にウインドブレーカーを着せたのであるが、まだ寒いと言うので、さらにカッパの上を着せてみた。どうせ登り始めれば暑がるのでこんなもんかなと思いながら、となりの姪っ子を見てビックリである。なんと姪っ子はダウンジャケットを着ているではないか!

さすがに、これは着させすぎと思ったが、今回の山行これが正解であった。



2008年10月12日


天気は快晴、山麓はほぼ無風状態、最高の登山日和である。午前7:10登山開始!

娘たちに「いまから、この山登るよ!」と青空にドーンとそびえる男体山山頂を指差す。

「エー、たかーいねー、さむいよー」娘たちのテンションはいまいち低い。

登山開始3分で志津乗越避難小屋に到着、ログハウス風のきれいな小屋である。中を覗きこむとロフトもあり、20人は泊まれそうである。ただし水場は、にごっていて使えそうもない。

続いて樹林帯のなかの登山道を進むと、ひらけた砂防堰堤に飛び出す。ここに2合目の立札があり、振り返ると太郎山の紅葉始めた山容がスバラシイ!娘たちは巨大霜柱に大喜びし、気がつくと「つめたいね!」と霜柱を食べ始めていた。こいつら野生児か?



2008年10月12日


午前8:00 三合目で最初の休憩をとる。ブルーシートを広げ朝食のイナリ寿司を食べる。まるでオママゴトのようである。

後続の登山者達は早々に休憩をとる我々を次々と抜かしていくが、小さな登山者に少々驚きながらも、みな笑顔で子供たちにエールを送ってくれた。



2008年10月12日


6合目までは特に危ないところもなく順調に登ってきたのであるが、6合目を過ぎると突然眼前が開け、大崩落地に飛び出す。削られた地肌がどうにも痛々しく子供たちも恐がってなかなか前に進まない。



2008年10月12日


子供たちと手をつなぎながら慎重に越えると、その後は足場の悪い急登の連続である。

侵食で削られた登山道はスコブル歩き難い、しかも土質も脆い火山性の石が主体となり、ふんばりも利かないのである。

そんな中でも、いたる所にトラロープが設置してあるので、これを利用しながら、ゆっくりと高度を上げていく。 



2008年10月12日

バックは太郎山かな?
さすがに苦しいのか、しだいに子供たちも無口になっていくのがわかる。
特に姪っ子は、我慢強くまったく弱音を吐かないのであるが、言葉数が減りこころなしか顔色も悪く、軽い高度障害のようである。

さてどうしたものかと、ブルーシートを敷き休憩をいれる。さて登山は水分補給が重要なのであるが、弟は愚かなことに、飲料用ドリンクをすべて冷蔵庫でカチンコチンに凍らせてきてしまったのである。

本来ならこの寒いのに、シャーベット状のスポーツドリンクなど子供たちに飲ませるべきではないのだが、このカキ氷状態のスポーツドリンクが子供たちには大人気で、あまり飲ませないようにするのに苦労したのである。

具合の悪そうだった姪っ子も、シャーベット状態のスポーツドリンクとおやつのゼリービーンズですっかり回復!これを見て我々も胸をなでおろし、登山を続行することにした。



しかし、子供たちは歩くと暑いと騒ぎ、休憩すると寒いと騒ぐので、常に大人は着替えさせるのに大忙しであった。

7合目から9合目までが、今回の登山の核心部だと思う!森林限界に近づくと低木ばかりになり、視界は開けるものの風の影響をもろに受け、かなり寒いのである。

子供たちにはかなり厚着をさせているのであるが、唯一手が寒かったようである。子供用手袋を装備してこなかった我々は、大人用の軍手でこれに対処したのであるが、大きな軍手では保温能力も発揮できす、結局は手をつなぎながら登ることで解決を図ったのである。

さて、エッチラホッチラと多くの登山者に道を譲りながらなんとか9合目に出ると、風景は一変する。

西には、湯の湖と戦場ヶ原、その先には日光白根のハゲ頭が鎮座し、北は太郎山と女峰山が紅葉した衣をまとい紺碧の空にドーンとそびえている。スバラシイの一言である、この景色を見ると今までの苦労が吹き飛ぶ!



2008年10月13日


さて、尾根づたいに気持ちの良い笹原を東に進むとやがて、天に向かって一本の巨大な剣がそそり立っている。そう、そこが山頂である。

11:20 男体山登頂である。さっそく、子供たちは三角点タッチをして、大剣の元で記念写真を撮ると、「ごはん、ごはん!」と騒ぎ始めた。



2008年10月12日


神社にお参りしてからと、子供をなだめ、二荒山神社奥宮に向かうと、山頂南側は眼下には中禅寺湖がデーンと広がり、その先には皇海山を筆頭に足尾の山々が鎮座している。

しかも、はるか彼方の雲海の上には富士山頂を望むことができた。

神社で登頂のお礼と無事の下山をお参りして、中禅寺湖をバックに記念写真を撮っていると、表登山道から登ってきた(かなりくたびれている)登山者が、山頂でキャキャと騒いでいる子供たち(ともに7歳)をみかけて、驚いて話しかけて来た。



2008年10月12日


どうやら、この登山者は志津乗越からの登山道を知らず、標高差1.200mもある表登山道を小学校1年生が登ってきたと思い、たまげていたのである。

たしかに山頂には昼時の100名山らしく多くの登山者が休憩していたが、防寒の為とはいえ首にタオルを巻いたオヤジファッションの子供達(7歳女の子、二人!)はかなり注目を浴びていたようである。



2008年10月12日


昼食は山頂でも風が防げる南側の斜面にブルーシトを敷き、自慢のバーナ(プリムス2243 15年使用故障無し)でお湯を沸かした。

但し標高の為か、ボコボコと沸騰している割にはお湯は熱湯ではないような気がする。娘のザックから昼食用のカップヌードルカレー味を4個取出し、お湯を注ぐ!

弟は、初め「山まで来てカップラーメンかよ!」とバカにしていたが、熱々のカップヌードルカレー味を口にすると、「山はヤッパこれだよね!」とまるで自分がチョイスしたような口ぶりに変わっていた。

子供達も、チープなれど熱々のこの食事に大満足のようであったが、早々に完食すると遊びたいと飛び出していってしまった。(こいつら、絶対下山すること忘れている!)



2008年10月13日


山頂で1時間程休憩をとり、まだ遊びたいと言い張る子供達をなだめ12:40下山開始である。

下山路は、9合目から6合目までは足場も悪く、かなり苦労したが、日没1時間前の午後4時20分無事に下山。

しかし、ここからが長かったのである。午後5時、120号竜頭の滝付近から渋滞につかまり、いろは坂を抜けた時は既に午後8時を回っていた。帰宅できたのは午後11時、もっとも子供達は下山と同時に爆睡していたので、帰宅してからは元気いっぱいでうっとおしくてしょうがなかった。



2008年10月12日


感想

たけお  

時間をかければ子供でも登れる山はいっぱいあると思う!今回の山はちょっと厳しいかなと思ったが、体力的にはかなりの余裕を残していたように思える。(親バカかな?)

娘が一緒に山に登ってくれるのも、多分小学校3年生ぐらいまでと思う!あと2年間登りたい山はいっぱいあるが、最後はやっぱり富士山に登りたいね(^^)


愚弟

次回は日光白根に挑戦じゃ!


娘    

登るの大変だったけど、カップラーメンおいしかったよ!


姪っ子 

帰りに中禅寺湖でボート乗る約束はどうなったの?




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