5/17〜5/18 ニゴリ沢キャンプ釣行!(注:ボー
ズ)


2008年05月17日

GPS ガーミン ビスタ
ガーミンのハンディーGPSをネット経由で購入した!依然から興味があったが、高価でなかなか手が出なかったものである。それが、白黒の旧モデルであるが格安で出品されていたのである。高度計と電子コンパス機能付で、さらに日本詳細地図のおまけ付で35,000円!これは買うしかないでしょ!

中古であるが程度の良いGPSを手にすると、もう使いたくてたまらなくなった。とりあえず、駅まで歩いてみたが、地図に加え高度、方角、距離、到着予定時間等色々な情報を表示することができて、めちゃくちゃ面白い機械である。大きさはちょっと厚めの携帯電話といった感じであり、もうこいつに夢中になってしまったのである。

さっそく、山で使ってみようと色々コースを考えた結果、去年行った松木渓谷の奥にあるというニゴリ小屋を探しに行くことにした。一人では心ぼそいのでhebereke隊長と粕Y選手に誘いをかけてみたが、hebereke隊長は残念ながら都合がつかず今回は見送り、粕Y選手と二人で行くことにした。

国土地理院のホームページから目標となる銅親水公園からニゴリ沢、モミジ尾根、皇海山の緯度経度を調べGPSに入力し事前にルートを作成するのだが、この作業はかなり面倒であった。

GPSの小ささスティックをコチョコチョ動かしながら文字や数字を入力して行くのだが、携帯電話のメール入力も苦手な私にとっては、まさに発狂ものであった。※フリーソフトのカシミール3Dを使用すればPC側でルート作成したものをGPS側に転送できるらしいが、今回初めてなのでマニュアル片手にオーソドックスな方法を覚えたのだが、次回からはPCを利用すると思う。

もちろん、粕Y選手にはGPSの実験の為の山行とは言えず、「新緑シーズンの足尾山塊で渓泊し焚火でイワナを炙ろう!」と絶対にやつが飛びついてきそうな魅力的な言葉をならべて、まんまと同行させたのである!



2008年05月17日

9:52
5/17 午前7時粕Y選手宅に迎えに行くと、渓泊りに目を輝かせた粕Y選手は大量の荷物を抱えて現われた!が、何故かザックが二つ!??? あれもこれもとやっているうちに荷物が増えて30gザックに入りきれなくなり、別に10gのデイパックも持っていこうとしているのである。

さすがにこれは無謀であることから、私の家に永らく眠っていた50gのフレームザックを粕Y選手に貸与することにした。こいつは学生時代、私と青春をともにした愛用のザックであったが、もう10年以上使っていない。とりあえず、パッキングは車止に着いてからでいいとして、東北道を北上。途中大谷のサービスエリアで朝食をとり、午前9時に銅親水公園駐車場に到着。

さっそく、GPSの電源を入れる。最初の衛星補足には5分近くかかるので、この間に粕Y選手の荷物チェックを始める。シュラフ、銀マット、防寒用セーター、粕Y選手自慢のスエーデン製バーナーは良いとして、水2g×2本はいらんじゃろ! 今回の山行は基本的に沢通しなので、水の心配はないのだが、粕Y選手は「鉱毒の渓」の先入観が強く、沢水を飲むのには抵抗があるらしい。

しかたがなく2gペットボトル1本だけは持っていくことにした。そうこうパッキングしている間に、GPSが衛星をとらえ、私の作成したルート(銅親水公園⇒三沢⇒ニゴリ沢)図と寸分変わらない場所にポイントが表示された。
すばらしい、天気も上々すばらしい2日間の予感である。

まずは、旧松木村跡までの1時間の林道歩きであるが、植林祭があるらしく何人かの小学生が我々と同じように歩いてる、何か不思議な光景である。

ちょうど、我々の隣を歩いていたおじさんと小学生3年生ぐらいの3人組みと挨拶を交わし、天気の話などをしながら一緒に歩いたのだが、このおじさんがなかなか博学で、このあたりは銅精錬でできたクズ鉱石が積みあがり、ボタ山を形成しているのであるが、これが最近再利用されるようになったことなど色々と教えてくれた。

そのうち、小学生達の話の内容からこのおじさんは、小学校の校長先生であることが判明した。いままで、ただのおっさんと思っていた人が、急に威厳がある人にみえるようになるから不思議である。やがて、小学生達とは歩行速度があわないので別れ20分程歩くと松木川ヘリポートに到着である。何と、ここでは何台もの大型バスが止まり100人近い人達が植林の準備をしていた。

我々はなんか場違いな感じがしたが、はずかしながらもその集団を抜け大ナギ沢出会のゲートをくぐった。



2008年05月17日

10:45
さて、これから林道はガラガラに崩落してくるのであるが、前回と同じくぎりぎりまで林道を歩くことにした。林道崩落場所手前にはバイク4台、自転車2台が止めてあり既に多くの人がこの渓に入っているようである。

なるほど、小型バイクを使えばここまで楽チンでこれるのだなと感心(まあ、あまり良いこととは思いませんが。)

しかし、この人達はあの多くの植林の人達の中をバイクを走らせて帰るのは、相当勇気がいるだろう!



2008年05月17日

12:28
第6堰堤を越え、GPSの第1チェックポイントとした三沢出会には11:20に到着した。予定通りのペースに満足しながらも、ここの川原でテントを一張発見。しかし無人であることから多分、持主は三沢を遡行しているのであろう。

このあたりから、今までの禿山の風景から少しずつ緑が増えて、渓相も良くなってくる。計画ではここで昼食にする予定であったが、時間も早いし疲れもないことから先を急ぐことにする。

コンビニおにぎりの軽い食事を済ませ、しばらく惚々するような渓相を楽しみながら遡行すると、やがて前方に皇海山がそのポッコリとした姿を表した。

なんだか、とってもうれしくなってくる(^^)/



2008年05月17日

12:35
この後すぐに、ここ松木沢唯一の通らずに到着。盛夏なら泳いで中央突破したいところであるが、軟弱な我々は左岸(写真右側)の巻き道をつかう。

ここまで来れば、もう先行者はいないだろうと思いきや、上流から1名降りて来た。話を聞くと、松木沢本谷の滝までいってきたが、全然ダメだったとのこと。日帰りでこれから帰るらしい、あのゲートを抜けたバイクの一人でなければ、往復8時間の行程! なかなかの強者である。



2008年05月17日

14:25
ニゴリ小屋を探しながらの遡行となったが、みつからないまま午後1時30分、ニゴリ沢出会い到着。合流地点が台地上になっており、まさに幕営適地である。

いくつもの焚火跡があることから、我々もここにキャンプすることにしたが、ブルーシートや焼け焦げたガスボンベが投棄されており、フライパンに至っては木に引っ掛けてある。釣人のマナーの悪さにげんなりした。(ここは、皇海山へのベテラン向登山コースでもあるが、多分登山者はブルーシート何かは使わないので釣人に間違いないのである!)

しかし、ここまでニゴリ小屋がみつからなかったので、偵察がてらテン場の後ろの30メートル程の痩せ尾根まで登ってみたが、やっぱり小屋はどこにも見当らなかった。

※帰宅後ネットで調べたらニゴリ小屋はニゴリ沢出会よりずっと下流の右岸(もちろん上流から見てだよ!)の斜面の上にあるらしいことがわかった!

さて、今日の寝床の準備であるが、私がおもむろに取出したツエルトを見て、粕Y選手の目が点になった。

「もしかして、テントてこれ! おまえ、俺におもい食料全部持たせて、自分は缶ジュース程度のこれだけか、なんてやつだ!」

少々毒づかれながらも、二人で手早く設営し、念のため持参したミニタープ(こいつも15年もの)をツエルトの上に設営した。(翌朝雨となったことから、このタープは大正解であった!)



2008年05月17日

14:55
設営が終わると、粕Y選手はさっさと釣りモードに入り、本流に消えていった。私は炉の設営と蒔き拾いの後、粕Y選手に遅れること30分でニゴリ沢に竿を出すことにした。

しかし、このニゴリ沢は名前の通りなんとなく白くにごっているようである。砂が白いのかなとすくってみたが、何か白い成分が砂の表面に付着しているようであった。

先ほど出会った釣人が今日はまったくダメだったと言った通り、ニゴリ沢もまったくアタリがなかった。1時間程でモミジ尾根が確認できるあたりまで遡行し釣りは諦め戻ることに。



2008年05月17日

16:13
うなだれて帰ってきたテン場には、私の作った炉には火の気がなく、粕Y選手の足がツエルトから出ていたので、やつも多分ボーズなのを確信した。案の定まったくアタリもなくふてくされて寝ていたらしい。

しかし、別に晩ご飯のオカズが無いわけではないのである。今回のキャンプを相当楽しみにしてきた粕Y選手が色々な食料を用意してきたのである。こうなりゃ、あとは焚き火宴会である(^^)



2008年05月17日

16:30
粕Y選手のとっておき登場である「ジャジャーン、常温保存いかめし!」(ドラえもんが四次元ポケットからタケコプターを出す時のBGMで!) 

湯せんして温めたイカメシの美味さときたら最高であった。(もっとも俺だったら、こんな重いもん絶対持ってきません!)  ※焚き火で炙ってもおもしろいかもね(^^)



2008年05月17日

16:46
流木と積雪で折れた枝がそこいらじゅうに無尽蔵にあり蒔にはまったく不自由しない状態であったが、焚火には小さめの炉を作った。

私も粕Y選手も焚火が大好きである。それも、炎をいかに小さく長持ちさせるかに命をかけているのである。我々はこれを「ファイヤープロデュース」と呼んでいる。



2008年05月17日

19:08
焚き火は渓のテレビみたいなものだと思う。二人とも下戸であったが酒を酌み交わしながら、いつまでも焚火の優しい暖かさと渓のヒンヤリとした空気にはさまれて、渓の夜を楽しんだ。

午後8時、私はモンベルのエアマット、イスカの羽毛シュラフ(ポカラ)、ゴアのシュラフカバーと完全防水装備で床についた。ツエルトに2名では少々きついかと思ったが、寝るだけなら居住性は十分おつりがくるレベルである。(しかし、結露はどうしようもないのであるが!)

※今度は結露対策にタープをフライシート代わりにもっとツエルトと密着させて設営してみようと思う!

二人で相談した結果、明日は釣りはあきらめ、このままニゴリ沢を詰めてモミジ尾根から皇海山まで登る計画でまとまり、眠りについた。

(夜中何度かけもの気配を感じたが、多分鹿だろうと自分に言い聞かせ寝り続けることにした。だってコワイんだもん!)



2008年05月18日

5:20
午前3時、ポツリポツリとの雨音で目が覚めた。ツエルトの上にタープを張っているのでツエルト自体が雨で濡れることはなかったのだが、結露がひどく粕Y選手のシュラフは湿っているようであった。

そのまま、1時間程寝袋の中で、「雨じゃ、今日は帰るだけだな」などと考えながら、うとうととしていたが、午前4時に起床。雨の中の撤収作業開始である。

しかし、この雨でターブの有効性が再認識された。撤収時もほとんどの装備を濡らすことなく、ツエルトを片した後は、タープの下でそのまま食事が取れるのである。さすがに気温は10度近くまで下がっていたが、ラーメンとコーヒーの暖かい食事が抜群にうまかった。

既にテン場はガスに包まれ、雨も本降りになってきたことからここで撤退が決定した。雨の中、他人のゴミまで待って帰る余裕はなかったが、我々のキャンプの形跡は一切合切無くし依然と同じ状態にし山の神様に一晩の宿の礼をして、テン場を後にした。(これは、渓泊まりの最低限のマナーと思います。)



2008年05月18日

9:37
帰りは三沢まで戻ると、既に雨は止んでいたが、山の上の方は重たいガスに包まれていた。皇海山に登らないで正解だったと思う。

粕Y選手と楽しい2日間だったと話しながらの林道歩きは別に苦になることもなく、午前10:20には銅親水公園の駐車場に到着した。

今回は釣りはまったくダメであったが、GPSの実験には申し分なかった。今回の軌跡はデータとしてPCに転送できるので、今度はカシミール3Dを利用した遡行図付レポにも挑戦してみたいと思う。


PS:帰宅後、天気の良いうちに急いでツエルト、タープ等濡れものを干して夕方には嫁と娘を実家に向かえに行くことにした。(※実家に遊びに帰っていただけで、けして逃げられたのではない!)

嫁の実家では、みなさん私のおみやげ(もちろん、イワナ)を期待していたようであったが、手ぶらの私をみて、義母はだまって、夕食用のあじフライを揚げ始めたのであった!




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